牡鹿半島は宮城県石巻市にあります。

リアス式海岸で、海と山がミックスした様な非常に風光明媚なところです。

半島の先端、東側には金華山という霊場があり、その沖合には世界的な漁場があります。

(東日本大震災の震源もこの沖合となり震源地に一番近い陸地として有名です。ちなみに震災により半島は5.3mほど長くなり、1.2mほど沈下しました。)

主要な産業は漁業で、最大の町、鮎川は捕鯨で栄えました。(現在も小規模ながら捕鯨しています)養殖も非常に盛んで特に牡蠣が有名になっています。

集落は主に浜と呼ばれる所にあり、数軒から数百軒まで規模は大小ありますが、半島の全人口(牡鹿地区及び本庁荻浜地区)は震災前には約5300人、現在は約2500人で半減しました。(2010年&2020年の国勢調査より)

過疎高齢化は日本の地方のどこでも見られる問題ですが、これが震災により一気に加速し20年から30年後の環境が突如出現したのが被災地の問題となっています。(2020年4月の牡鹿地区の高齢化率は約49.8%)

★令和2年(2020年)の国勢調査速報値に関して

牡鹿地区は2015年より約14.5%(355人)も減少して2093人、本庁荻浜地区は反対に13人増えて414人、計2507人となりました。震災前に比べると半数以下となり更に人口減少の度合いは加速し深刻な状況です。

詳しくは、リンク石巻市R2国勢調査

半島(牡鹿地区&荻浜地区)にはコンビニエンスストア、スーパー(2024年9月に閉店)は1軒づつ、個人商店が数軒、ガソリンスタンド3軒・・・。病院と診療所が1軒づつ。小学校3つ(東浜小学校は閉校)、中学校1つ(荻浜中学校は閉校)、と生活関連はかなり厳しい状況です。

防災集団移転による浜ごとの高台が多く、既存の集落とは離れてしまい、更に過疎化が進行し、高齢者(交通弱者)は他者との交流も困難となっています。

 

★牡鹿半島内でのサロン活動(2020年8月現在)※新型コロナ感染拡大防止の為に変更中多数

制度による10人規模のデイサービス、生きがいデイサービス(まじゃらいん)が鮎川(清崎山)にあります。

地域住民さん主体のサロンは、鮎川の黒崎地区(月1回〜2回)、鮎川南地区(休止)、鮎川湊川地区(月2回)、寄磯浜(月2回)、給分浜(月2回)、十八成浜(月1回)、小網倉浜(月1回?※不定期)等があります。

また牡鹿包括がほぼ毎月サロン活動を行っており、社会福祉協議会、市の保健師などが各地で年に数回、定期的(休止中)に活動しています。

なお、本庁荻浜地区には、渡波地区のデイサービスが利用できます。集落のお茶っこや公民館事業は多少あり。

おらほの家は、キャンナス時代は半島全域で送迎付きサロン活動を行っていましたが、現在は縮小し、東浜地区(1周約23㎞)から鮎川浜(約8㎞)までとなっています。

なお2017年度より、こちらから出向いて行う出張お茶っこサロン活動(食堂いぶき、鹿妻、小積浜、折浜など)を行っていましたが、2020年3月で全て終了しました。

 

ここ牡鹿半島は石巻市ではありますが、このように町中とは随分と違った様相を呈しています。

高齢者が集うのも、生活するのも、病院に行くのも非常に難儀で、家族と一緒になる為に住み慣れた半島を出て行く人がたくさんいます。(元々は大きな家に3世代とかで住んでいましたが、震災により仮設住宅ができるまで、多くの方が町中に避難していました。半年以上の歳月を経て仮設ができましたが、現役世代の多くは便利な町中に残って高齢者のみが半島に戻る例が多かったのです。)

 

ところで、牡鹿半島はよく男鹿半島と間違えられます・・・。

牡鹿半島は宮城県で太平洋に、男鹿半島は秋田県で日本海に突き出ています。

けっこう違うのですが、やはり知名度が低いという事でしょうか???

 

牡鹿半島の不思議

①牧浜などは東部地区と呼ばれ、東浜小学校などもありますが、実は半島の西側にあります

②島なのに金華山

③石巻湾に面した内側が表浜、太平洋に面した外側が裏浜